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2018.11.04 23:20|Gesprek/ひとりごと
よくわからないのですが、ブログを放置しているあいだに、過去の記事の編集ができなくなりました。記事の管理に行っても先に進めない。よって、今後削除や編集ができないというわけです。なんでやろ?!

最近ではSNSが主流だし、いまどきブログなんて書いてるひとはいるのかな、と思いきや、やってるひとは意外と多かったりもするのですが。オランダに来て、最近は年に2,3回の更新とはいえ、過去10年以上続けてきたからには今後も細々と続けていけたらと思います。別のブログサイトに引っ越しする、というのも手かも。その際はまたリンクづけします。それでは、また・・・。
2017.06.23 22:16|Gesprek/ひとりごと
 日本のニュースは毎日ネットで読んでいるが、今日は小林麻央さんが闘病生活の末、亡くなったというニュースが朝から飛び込んできた。びっくりしたと同時に、彼女を支えていた海老蔵さん(そういえば、アムステルダムで公演を見に行ったなぁ…)や、ご両親やお姉さん、そのほかの医療関係の方々、本当につらくて大変だったと思う。思えば、お二人の子供は、我が家の子供たちとちょうど同じ年齢(れいかちゃんは、ミレチェと同い年の7月生まれ、かんげんくんもソラチェと同じ2013年生まれ)。お母さんもまだこんなに若いのに。子供たちが、お母さんが死んでしまうそばにいる気持ちってどんなに悲しいだろうか、と思う。そして悔しい。子供たちの成長を見届けられない悔しさ。そばにいてあげられない、やりきれない思い。愛おしい子供の笑い声やぷにぷにした顔や手をもう触ることもできない。お母さんを失くしてしまった、子供たちの辛い気持ち…。自分がその立場なら本当に神様を恨みたい。本当にやるせない。そして、海老蔵さんや、ご家族の愛があふれる言葉がけに、わたしも涙が出てしまった。どうか、天国で安らかに眠れますように。ご家族の皆さんに、ご冥福をお祈りします。
2015.02.20 23:23|Gesprek/ひとりごと
今更ですが初めてスマホからアップしています。

子供たちや日々のちょっとした備忘録にしたいのに、PCを開けたとたん「何書くんだっけ…」の連続、結果書く気力は急減速するので、それを解消したく。

また写真の編集が簡単なことから。
PCからだとまず落として→リサイズ→ブログのファイルをクリックしてダウンロード→保存→ここでやっとアップロード。。超面倒くさい!!
いや、いままでやってたんだろうけど。子供たちがいない頃のあの時間の使い方が贅沢すぎる生活と比べたら、いまはPCにゆっくり向かう時間は皆無に等しいから…。

写真アップロードしてみよっと。



1枚目は先日の友人の結婚式。

2枚目はソラチェの頭にコップを乗せて遊んでたもの。

アップロード簡単!
ひたすらiPhone打ってる姿はsatotjeにも子供にも不健康なイメージなので、一人の隙間時間を使って書くことにしようっと。

ウフフ。ここからなら続けられるかも。また書きます(*^^*)



2014.03.28 06:23|Gesprek/ひとりごと
やっと、落ち着いて、その現実を受け止めようとしているけれど、やっぱりまだよく分からない。

先週はじめに、父方の祖母が他界しました。

92歳で大往生、とくに病気でもなかったのだが、最後は病院の入退院を繰り返して、老衰で亡くなったようだった。

先日、父から「おばあちゃんの様態があまりよくなくて、病院に入院してて…」ということを聞かされていたけれど、いままでにも何度か危ないことがあったので、まぁ気が強い不死身みたいなおばあちゃんだから(苦笑)、来年帰るまで待ってくれるだろう、と思っていた矢先だった。

結局、最後におばあちゃんの声も聞けなかった。
手を握ってあげることもできなかった。
話かけてあげられなかった。
ソラチェに一度も会わせてあげられなかった…。

オランダという場所を選んだ自分だけれど、すぐに飛んででも会いにいけなかったことが、どれほどもどかしかったか…。いまは、子供たちもまだまだ小さくて、一人でひょいっと帰られる状態でないのもわかっているから、なおさらつらい。結局、日本の家族とも話し合って、こちらから全員で帰ることにしていた来年の3月、1回忌に合わせて飛行機を取ることにした。

日本の家族皆が、それぞれに祖母とのいろいろな思い出があると思うけれど、わたしのことはここに書き留めておこうと思う。

祖母は、ひとに尽くすことが大好きな、よくしゃべ明るいひとだった。祖母とは、わたしが10年前に来蘭して以来は、めっきり疎遠になってしまったけれど、それでも頻繁に書いて送ってくれた手紙は、いまも手元にしまってある。わたしも、写真のアルバムを作ったり、父にはブログをプリントアウトして渡してもらったりしていた。

「nijntjeは、わたしの一番かわいい孫!」

そういって、よく友達にも紹介してくれたっけ。

お正月は家族、親戚みな集まって、湊川神社へ→喫茶店→デパートなどで買い物→夜はすき焼きパーティ→大人は徹夜でマージャン、子供たちは枕投げかトランプ→お昼にまたおせち、で解散、というのが通例だった。中学生くらいまで続いたっけな。

裁縫の仕事を生涯続けてきた祖母には、わたしが日本でセールス(営業)をしていたときに何着ものスーツを作ってくれた。どれも自慢のスーツだったし、お客さまにも好評だった。

学生の頃に、肌荒れがひどい時期があって、それを見かねた祖母が、知り合いのエステシャンを紹介してくれ、何度も顔エステに付き合ってくれた(そのあいだ、祖母は近所で買い物。笑)

近所の市場でやっていた宝くじで、3000円をあて、「nijntje使い。」といって、快く幸運を分けてくれた。そもそも、会うたびにお小遣いをくれたっけ…。

社会人になってからは、祖父も他界してしまった。告別式では、声が出なくなるくらい弱ってしまった祖母のそばに、ずっといてあげた。

ひとりになってからは、しょっちゅう近所の古めかしい喫茶店(インベーダーゲームなどが置いてある喫茶店!今もあるのかな…)に連れて行かれ、話し相手をさせられていた。でもそこで食べるサンドウィッチはいつも美味しかった。

祖母の家に遊びに行き、別れ際はいつも見えなくなるまで手を振ってくれた。

オランダに出発する前に、最後に会った日は、三宮まで出て一緒に買い物して、バス乗り場での別れ際でもずっと見えなくなるまで手を振ってくれた。

日本での親族だけの結婚披露会。satotjeを祖母に紹介したら、「おじいちゃんに似てる。」といって手を取って泣いていたよね。笑 そう、祖母は、祖父と同じような雰囲気をもった、背の高いsatotjeのことをすごく気に入っているようだった。

それからは、母方の祖母と一緒に暮らしてみたり、その後、施設に入り、また、わたしも会えるのが里帰りしたときのほんの数時間だったりして、まだまだいつまでも会っていたかったけれど、別れ際はやっぱり寂しさがこみあげてきたのだった。最後に施設で会ったときは、「もうこんといて、寂しいだけやから…。お父さんにも迷惑ばっかりかけてるし。もうはよ死にたいねん。」と泣きながら言ってね。。

そのときの写真。元気そうだけど!

2013 Japan (208)

じつは最近、たまたま「永遠のゼロ」を読んでいて、戦時中の日本のことを考えていたし、その当時は祖母たちはどんな生活をしていたんだろう、と気になっていた。読み切ったときは、祖母が元気なうちに、もっと戦時中のことも話しを聞いておけばよかった、と思った。

人生は本当に短い。ひとは少なからず、毎日死ぬ日に近づきながら生きている。ミレチェとソラチェを授かったから、おばあちゃんがこの世からいなくなってしまったのだろうか。こうしてまた、親も、自分も20年、30年経て世代を交代していくのだろうか。

おばあちゃん、どうか天国で安らかに眠ってね…おじいちゃんにもきっと会えたであろうことを願って…

27032014 (8)

亡くなった日には、家のヒヤシンスは綺麗に開花していたよ。来年は、花を添えにいくから待っててね。

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2014.01.08 00:14|Gesprek/ひとりごと
母は今日、無事にオランダを出発し、日本へ飛び立っていった。

いつも思うけれど、残された側に立つと、一気に虚無感を味わう。来蘭してから、ずっとこの先も母がそばにいてくれるような気がしていた。いまは、家にいても、空気にぽかんと穴が開いたような感覚がする。

スキポール空港に見送りに行って、帰ってきてからも、その寂しさを紛らすために、4人で散歩しよう!と連れ出した。大丈夫、satotjeと子供たちがいれば…!そう自分に言い聞かせるように。子供たちも、「祖母」がいなくなってしまったことに気付いているだろうか。そのことを知ってぐずぐず泣き出したミレチェには、「でも元気に帰っていったからね!大丈夫!」というと、とたんにケロッとしていた(笑)。ソラチェは、少し泣けば抱っこしてくれていた「祖母」がいなくなったことが寂しかったのか、ずいぶん夜は泣いていて、寝かしつけるまでにずいぶん時間がかかった(さっきやっと寝静まったところ)。

小さい子供が二人いたので、行動範囲が狭く、ほとんどが車での移動に加え、家でゆっくり時間を過ごしていたことも多かったので、母は退屈ではなかっただろうか。

今回、びっくりするほどたくさんの和食やオンラインでオーダーしていたものなどを、両手いっぱいにして持ってきてくれた。昨年暮れに、義理の両親が送ってくれたものもあるので、いま家は和食の宝庫。賞味期限切れないように、上手に使って食べないとね。

いまになって悔やまれる、というか、申し訳なかったことがひとつ。ミレチェが母のことを「おばあちゃん」と呼んでいたこと。母の希望で「グランマ」がよかっただろうに、結局ちゃんと教えられずだった。名前でだったらちゃんと呼んでいたけれど。笑 あと、ドラマの視聴の仕方や、FBの使い方etc、教えてあげる時間はあったのにすっかり忘れていた。

母が帰国した今日、ソラチェは無事、生まれて2ヶ月を迎えた。最近は、よく笑うようになってきたし、何か言葉をかけると、「あーー」「うーー」と言うようになってきた。まだふにゃふにゃ感は抜けないけれど、それでも生まれたてのころに比べるとずいぶん首も背骨もしっかりしてきた。立て抱きすると、まだ細くて小さな足で、わたしの太ももを一生懸命蹴ってくる。赤ちゃんを見ていると、この子は頑張って生きているな、とたくさんのパワーをもらえる。その子が大きくなるにつれて、そんな気持ちが薄れて、忘れさえしてしまうけれど、こうして人間本来のもつ生命力について、いま一度振り返って考えさせてくれるソラチェやミレチェを授けてくれた神様に、心から感謝したい。

Hieronder gecorrigeerd Nederlands

Sora is nu 2 maanden. De laatste tijd begint hij een beetje te lachen (glimlachen) en dat maakt mij blij. Hij heeft al stevige benen, als ik hem stevig tegen mijn aanhoud staat hij al op mijn boven benen. Hij begint ook al geluidjes te maken zoals aaa en uuuww. Mijn moeder is vandaag weer vertrokken naar Japan, ik zal haar erg missen want ik weet niet precies wanneer ik haar terug zie. De 2 weken dat mijn moeder hier was zijn snel voorbij gegaan, maar ik heb in ieder geval van haar genoten.
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プロフィール

 nijntje 

Author: nijntje 
FB上では幸せいっぱいの家族やプライベートのことを書いています。
このブログでは、ちょっとした愚痴ばかり書いています。笑

生まれ住んだ神戸をはなれ、仕事のため来蘭し、かれこれ12年目。2011年夏、アムステルダムから郊外のAlmere(アルメーレ)に引越し。まもなく長女、Miretje(ミレチェ)が誕生、その2年後にSoratje(ソラチェ)も加わり、4人でにぎやかな毎日を送っている。



gechereven ook in het Nederlands(written in Dutch as well as Japanese)



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