大戦時の強制収容所を見て・・・


ぼちぼちですが、ベルリン旅行記続けます。


duitsland  duitsland


ブランデンブルク門に到着する手前の通りわきに、コンクリートの塊が整然とならんでいるのを見つけた。なんだろう、これ? 興味津々でなかに入っていった。はじめは笑顔であった私たちも、奥に入っていくにつれて何か一度入り込むと抜けられない、そんな恐怖感を味わった。3m近い高さのコンクリートに囲まれてしまったのである。なにも調べずに入り込んだわたしたちは、後からここがユダヤ人犠牲者の約3千の石碑だったことを知った。


渡蘭すれば、ドイツのヒトラー時代の歴史を知っておきたい。そう思っていた。アムステルダムではアンネ・フランクの家ですこしその実態も知ることができるが、ドイツへ行けば、ユダヤ人収容所も実際目で見たいと考えていた。第二次大戦当時、ドイツには無数の収容所があったという。ベルリンには記念館として残っているザクセンハウゼン収容所があり、ここを訪れてみることにした。


Zoo(ツォー)駅から電車に乗ること1時間(一日券、ABC区間で行ける)。Oranienburg(オラニエンブルグ)駅からバスで10分、または徒歩で20分。徒歩でも、標識は出ているので迷うことはないだろう。正面はモダンなつくり。



duitsland


ここからなかに入り、しばらくすると鉄の門扉にでくわした。ここに書いてあったのは・・・


duitsland


「労働は自由をもたらす」 実際にはそうではなかったが、ここに収容された人たちの願いだったのだろう。そういえば、日本語で言うアルバイトは、このドイツ語の"Arbeit "から来ているんだなあ。この奥にみえるのが慰霊記念塔。


ここからの収容所は扇型に広がる。1936年に建てられたこの収容所は、約10万人のユダヤ人や反ナチス政権者、ソ連の捕虜軍たちが、のちには収容され、強制労働をさせられたうえに、餓死・病死したり、ガス室へ送り込まれ窒息死したりした場所だ。生き残った人間のはほんの一握りだったそうだ。


duitsland


実際のガス室や死体焼却炉、銃殺場、そして生体実験台などもそのまま残されており、見ているだけで手に汗を握った。収容されたひとたちの点呼場所として、かつ処刑者の見せしめの場所としても使われた芝生の広場がそのまま残されていた。その地を踏んだわたしはなんだか足がすくんでしまった。こんな処刑所、収容所が、ここザクセンハウゼンをモデルにしてドイツ中に無数に建てられたとは。


ここを訪れていたのは、わたしたちのような観光客以外に、ドイツ人の中学生、高校生が非常に多く、彼らと一緒に館内をまわっていた。60年前の歴史を目にした彼ら、彼女らはどんな思いでこの場を後にしたのだろう。気温25度、快晴だったこの日とは裏腹な当時の残虐さが、わたしにはぎゃくに浮き彫りになって見えた気がした。


written in english↓

geschreven in het Nederlands »

by  nijntje   at 20:46 |  Buiten het NL/ オランダ外 |  comment (5)  |   |  page top ↑
プロフィール

 nijntje 

Author: nijntje 
生まれ住んだ神戸をはなれ、渡蘭して気付けばもう5年目。アムステルダムの居心地のよさを伝えたい。日々、「ちぇ」(かわいいものやひと)を探している。

gechereven ook in het Nederlands(written in Dutch as well as Japanese)



最近の記事
最近のコメント
月別アーカイブ
カテゴリー
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる