2011.03.28 18:33|Bevalling/ 出産
nijntje、いよいよ妊娠24週。日本でいう妊娠7ヶ月にはいりました!!


じつに時の流れははやいもので…

つわりのあった頃は、毎日が本当にしんどくて、つわりが終わるであろう15,6週あたりまで、ずっと手帳とにらめっこしてはカウントダウンしていた。つわりの時期は、毎日の気分を顔文字で表現して記録していたのだが…約6週間。(-_ -) =ちょっとまし とか (>_<) =吐きそう~ とかばかり。でもその顔文字もいつしか消え、書かなくなった頃にはつわりが終わっていたのだろう。いまはいわゆる安定期で、食べ物はなんでも美味しく食べられるし、春らしい天候とサマータイムもはじまって、おかげさまでますます気分は良好♪

しかし、食べ物といえば…体重はすでに妊娠前から9kgオーバー。妹と同じく、人生最大重量更新中(笑)ただ、ほかのオランダ人に比べると、まだまだ見た目は小さいようで、(なぜか)負けてられへん!と思ってしまう。ちなみに、エコーによると、ベイベのサイズはオランダ人のちょうど平均(両親が二人とも日本人だとたいてい小さめらしい)だったので安心 

胎動も20週前後からはじまった。最初はそろそろ?と思い期待が大きかったからか、毎日おなかに「おーい(ポンポン)」と問いかけていたけれど、そのうち腸のあたりがむにょむにょ動くのが分かる程度に。ここ最近は、30分ごとくらいにポニョポニョ動いているのが分かる!satotjeもおなかに手を当ててみたら、動いているのが分かるようになった。はじめて赤ちゃんを感じた瞬間だったかな?

今週は、最後のヨガレッスン。あっという間だったけれど、すごく勉強になったし楽しかった♪ レッスンの様子はまたご紹介しますのでお楽しみに!

最後に…satotjeが見つけてきたかわいい動画。これ、なにで笑っているか分かる?






答え:ママが鼻をかんでいる音に敏感に反応している。「鼻をかんだらそんなに怖い?ねぇ?」って問いかけるママも笑える 

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2011.03.24 17:20|Reizen in NL/オランダ内
先週末は快晴だったので、カメラ隊二人とともにお散歩。その晩は、18年ぶりに月が地球に最接近すると言われていたスーパームーンの日であったので、写真にもむろん期待がかかる!三脚持って、いざ電車で1時間少し、ロッテルダムへ!Naniwa-Sさんが1年前から行きたがっていた街に、ようやくこぎつけることに…。

二人のブログに今回の写真がアップされるまでに、おそらく1年ほどかかるので(笑)、nijntjeが独断でお先に少し載せちゃいましょう♪(わたしのカメラはコンデジですが…)

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エラスムス橋。4月にはロッテルダムマラソンも開催される!

ぼこぼこ飛び出たリビングの窓。傾いていたり、飛び出したりしている高層ビル。ロッテルダムには、面白い建築がたくさんあるので、いつかは父とも一緒に歩いてみたい。エラスムス橋を渡り終える頃はもう19時。スーパームーンはいったいどこに?と思っていたら、橋の反対側に巨大な月を発見!!「おぉぉぉ~!これは!!」

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真ん中の電球のようなものが月…

あまりに遠くて、わたしのカメラに収めるとなぜか超小さいんだわね… 

ひとまずおなかがすいていたので、レストランで夕食。アムステルダムにもあるBAZARへ。ここはいつも混んでいる様だ。トルコ系のインテリアがかわいい。このレストランの周辺は旧市街地で、かわいいお店もたくさんありそう!

そのあと、再度スーパームーンを目当てに橋まで戻ってきて、三脚タイムが始まった。

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わたしのカメラではここまで…ハイ 

スーパームーン。日本でも見ることができたかな。被災地の夜を、すこしでも明るく照らしてくれただろうか。

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夜はかなり冷え込んでいた。アムステルダムへと帰路に向かう。ここでハプニングが…。まずはメトロに乗る予定だったのだが、電車が来ていたので、3人で階段を駆け下り、satotjeが最初に飛び乗った瞬間。

「プシュー」

扉が閉まるのがあまりに早かった。お互いに慌てて扉をあけようとしたけれど、そのまま

「スー」

と行ってしまった…。おーーーーーい!!運転手よ、どう見てもわたしたち一緒やったでしょが。妊婦を置いていくな~!!涙

ロッテルダムはどこか治安が悪そうで(実際オランダで一番悪いと言われている)、ちょっとアフリカ系移民が多くて、あちこちで叫んでいる若者などが多かった。

中央駅で無事に合流して、そのままアムステルダムへ。すると今度は後部座席に酔っ払いのおやじが…。初めは寝ていたようで静かだったのでまったく気付かなかったけれど、そこに突然、私服警官が5,6人続々と登場。「こら、起きろ!」「身分証明書を見せろ!」などと尋問されていて、いやな雰囲気やな~、と思っていたら、いきなりその男は叫んだり暴れようとしたので、警官たちが取り押さえようと必死。鎮静剤のようなものも注射されていた。すると、そこに居た駅員さんに、「つぎの駅でこの男を降ろします。念のため、別の車両に移ってください」と言われ、仕方なく移動。その後はよく分からなかったけれど、とにかく怖かった~   こういうときは、一番おなかのベイベのことが気になる。大丈夫だよ~。世の中いろんなひとがいるからね~。

まぁ、無事に帰ってこれてよかった。オランダもようやく春らしくなってきて、テラスも解禁。キューケンホフ公園も今日から開園。日本にもオランダの花や香りを届けてあげたい。

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2011.03.22 05:14|De verhuizing/ 引越し
今日はsatotjeと、オランダから日本赤十字に義援金を送った。わたしたちができることは限られている。それでも、すこしでも力になりたいから、そう願って。

さて、前回の続き。2階にあるリビングはどうなっているかというと。

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天井は相当高いです。

この天井の先端に、電気コンセントがついているのだが、幼い頃から「これはいったいいつ使うんだろう…」と疑問に思っていた。実際、使われているのを見たことはない、笑(→追記、このコンセントを使って、サーキュレーターを取り付けようと思っていたそうな)。右下の白い丸いものはリビングのスタンドライト。引越ししてきてからずっとある。一度、わたしが倒して割っちゃったけどね…(いまさらごめんなさい)

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階段側をリビングから見たらこんな感じ。この天窓から、毎年クリスマスになるとサンタさんがここから入ってくるんよ、という母の言葉を信じていたのは小学4年生まで…。クリスマスイブになると、「今晩はあの天窓をあけておかないとね」などと言う。高学年になるにつれて、サンタさんの歩くルートがいまいちつかめず(笑)結果夢は壊れてしまったのであった。幼い頃は、この天窓付近に自分の部屋を作ってほしかった(ただ単に3階に住みたかっただけ?笑)。→追記、ここに書斎を作る計画はあったんやけどな…、という父のコメント。ちなみに、家のことをブログに書くのは内緒にしていたので、驚いた反面、喜んでくれたみたいです♪

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台所はちょっと狭かったけれど、ここも外からの光がふんだんに入ってきていつも明るかった。最近IHに変えてから、使い勝手がいいと喜んでいる母。

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ベランダに出てみよう。この屋上につながる階段はいまだになんのためにあるのか分からない…。出窓からは、庭につながる飛石の上に出る。

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このリビングは間接光だらけである(笑)。年に数回しか使わないものもあるくらい。でもわたしは蛍光灯が好きではないので、このリビングの間接光はとても好きだ。

昨日は、三谷幸喜作品の映画「みんなの家」を見た。ある夫婦が新居を建てるため、インテリアデザイナー(唐沢寿明)に設計をお願いするが、そこに大工である嫁の父(田中邦衛)が介入してきて、二人が対立し、家がうまく建つまでのてんやわんやの様子が面白く描かれている映画。そこに出てくる、玄関の扉は「外開きか内開きか」という言い合いが楽しくて、父に聞いてみたら、

ヨーロッパが内開きが多いのは、
  • 昔から「敵から身を守るため」に内開きになっている(引く力より、押す力のほうが強いため、身を守りやすい)
  • 蝶番(ちょうつがい)が外側にあると、軸を引き抜いて扉を壊される恐れがあるため(盗難防止)
また、日本が外開きが多いのは、
  • 雨が多いため、雨水が家のなかに入らないようにするため
  • 靴を脱ぐスペースが必要
  • 狭い家が多いので、すこしでも広くするため

なのだそうだ。ふーん考えたこともなかったよ   教えてくれてありがとう♪

家を買うことになって、家の設計のことなどに興味が持てるようになった。新しい家の鍵をもらうまで、あと数ヶ月!すこしずつ準備していかないとね。

2011.03.19 20:39|Amsterdam/ アムス事情
オランダ各紙によると、オランダ政府が今回の東日本大震災を受けて、日本に100万ユーロ(約1億2千万円)の義援金を送った、と報じた。

記事はこちら(オランダ語)

コレに対して、400件近くのコメントが届いているが、それを読んでいると、ほとんどがこの政府の対応に、

「オランダの恥!」(Wat schaam ik me!!)

だと思っているらしい…。金額があまりにも低すぎる、との見方。オランダ国民ひとり当たりで計算するとたったの10円程度だと。さすがわが国は倹約国家だ、と皮肉ったり、日本のような物価の高い国では何の助けにもならない、などと考えているようだ。

しかし一方で、「世界にはもっと貧しい発展途上国がある。日本のような裕福な国ではなく、義援金はそっちに回すべきだ」「オランダは世界でもトップの、国民による義援金・高額納金国だ。国民からの義援金は政府のそれを大幅に超えるだろうし、問題ない」という見解もあるようだ。なにはともあれ、日本人としては義援金を送っていただけるだけでも有難い!と思う。

18日、オランダ赤十字はオランダ国民に対して日本への義援金の口座を開設した。(Giro 6868)

また、日本人を対象にした義援金口座も。日本商工会議所より。こちら(トップページに掲載)をご覧ください。

どちらも、日本の赤十字社に直接送金される。

会社単位でも、チャリティーイベントが開催されたり、いらなくなった衣類や毛布を送りたい、と申し出るひとで殺到していると言う。

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昨日は日本から以前オランダで一緒に働いていた同僚が来蘭していて、ひさしぶりに皆で集まってディナー。何年経っても仲間が繋がっているってやっぱり心強いし、なんでも分かり合えるのは生きていくうえで大切だと感じる。Hちゃん、ご結婚おめでとう♪ そして、新たな人生に向けてまた一歩踏み出してください!

今日はロッテルダムに遊びに行く予定。うーーん天気がよろしいな 行ってきます!

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2011.03.17 01:48|Nihon-Oranda/ 日本とオランダ
前回のブログで、ちょっと地震のことを最後に触れたけれど、そのあとこんな大地震が来るとは無論想定もつかず…いまだに映像をみて、日本の現状だと信じがたい。

まずは、被災された方々へ、寒さも続く中、不安を大きく抱えながらの非難生活にやりきれなさを感じていらっしゃると思いますが、どうか状況がこれ以上悪化しませんよう、そして一日も早い復興、行方不明の方の安否確認ができますよう願っております。また、亡くなられた方々、家族や友人を亡くされた方に、心よりご冥福をお祈りいたします。

マグニチュード9.0、津波、そして原発事故。ニュースを見ているだけでため息が出てしまう。どうして日本がこんな目に…。それにあわせた避難勧告や、計画停電などに苛立ちや焦燥感もあるだろう。そんななかでも、オランダでも賞賛されて話題になっているのが、日本人の忍耐強さと冷静さ。ほかの国だったら間違いなくパニック、暴動などが起こりうるのに。食料品が不足しているなかでも、レジの列に並んで待つ日本人。底冷えする寒くて暗い避難所でも、文句もほとんど言わずにおとなしく生活している姿。そんな映像を見ていると涙が出てしまう。と同時に、自分ではなにもできないことに、やりきれなさも感じる。とにかく今は、二次災害が起こらないかだけが心配だ。いまや世界中で、事故になれば人間に大きな害を及ぼす原子力発電はほんとうに必要か?という議論まで出ている。どうか、今後なにごともなくおさまってくれますように、そう願うだけだ。まわりのオランダ人は毎日のように気遣ってくれてくれる。ひどい現実だけど、日本頑張れ!と。

幸いにも、両親が住む神戸は地震さえ感じなかったようだ。唯一、横浜に住む妹の安否が気になっていたけれど、「母子」ともに大丈夫な様子でひとまず安心。今週末から母が妹の家に遊びに行く予定をしていたようだが、いったん延期に。父も被災した建物の調査しに東京に行く(阪神大震災のときもそうだった)といい、弟も就職活動で東京に行くと言い出していたようだが、わたしはひとまずいまの時期は反対だった。結局、妹が神戸にしばらく帰ってくることになったようで、ほっとしたけれど、ほかに被災しているひとたちなどのことを考えると、気持ちが落ち着かない。

satotjeの家族もみな無事だけれど、義理の妹の旦那が消防士で、宮城県に災害派遣されることになった。頑張ってきて、そしてちゃんと帰って来るんだよ、yosshy!!

オランダでも連日、大震災のニュース(最新のニュースの一部はこちらから)が流れている。ブログのリンクトップに、東日本大震災・最新情報と題して、ネット上で見れるサイトをリンクしましたので、どうぞご覧になってください。

なお、オランダでも義援金の個人、会社からの受付が始まるらしい。たとえ少しでも、なにか出来ることからはじめたいと思う。

さて、nijntjeは最近いろいろなことが同時に起きて大忙し…。すこしずつ書いていくので、どうぞお楽しみに。
2011.03.07 17:46|De verhuizing/ 引越し
いよいよ家の引越しの話が進みはじめた。いざ決めはじめると、冷静になって本当にここでいいのか、などと考えてしまうけれど、どこも「住めば都」だと信じて

家探しをしながら、ときどき神戸の実家のことを思い出す。もう家を出てから7年も経ってしまったけれど、幼い頃からずっと住み続けたあの家。10年、20年経てば家族は成長してかたちを変えていくけれど、住処そのものはいまでもそのままだ。だから、里帰りをしたら、子供に帰った気分になる。

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父が設計した実家は、引越しした当初(小学1年)は、なんだこの巨大なコンクリートの塊!だと思っていたけれど、この家には仕掛けがたくさんあった。まず、玄関口入ってすぐの階段。

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この階段の裏で、よく妹とぶら下がっておサルごっこしてたわ(笑)。反対側は大きな鏡扉になっているので、階段を下りながら容姿チェックできるのがいい。階段で立ち止まって、忘れ物も取りに戻れるし…

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階段の頭上には丸い天窓があるから昼間は明るい。

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階段を上がると、2階にリビングがある。「子供の部屋と、リビングを一続きにしたかった」という父の構想から。この扉をがらがらと開けると…

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出窓とダイニングがある。さらに、この扉は奥に仕舞えて、がらがら開けると…

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吹き抜け!

子供たち3人がまだ幼い頃は、ここは危ないから閉めていたけれど、大きくなってからは、夏に開けると気持ちがいい~。私がいた頃は、夏はクーラーがなくても十分過ごせるリビングだった。吹き抜けは、リビングの奥にもあり、下の部屋(1階)を覗くことができる。その部屋は、昔はピアノと英語のレッスン教室の場で、毎週2回、子供たちが庭から入ってきて賑わっていたのだった。ピアノの先生は出張で来てくれ、英語は母が教えていた。小学校から家に帰って来ると、母の声がして、自分のレッスンの時間になると、「1階」に降りていく…という、わたしにとっては便利な英会話教室だった(笑)。いまはピアノと父の仕事場になってしまっているけれど…。オランダの物件でも、吹き抜けになっている家がときどきあって、それらをみると実家を思い出した。でも、自分が思い描いている吹き抜けとは違ったから諦めた。

思えば、この家で一番記憶に残っているのは、やっぱり阪神大震災があったとき。あのときは「この世の終わりだ、もう死んだ」と思ったくらい揺れたけれど、父がしっかり建ててくれた家だったからこそ、また母がすぐに台所で使っていた火を消してくれたからこそ、家族皆無事だったんだ、と思う。世界中でも、地震があちらこちらで起きて、痛ましいニュースを見ていると涙が出る。あのとき、生きていてよかった。亡くなったひとの分も含めて、幸せに生きて行きたい。
2011.03.02 23:27|Vrienden/仲間たち
先日は、SashaとAlexの結婚式の日であった。

雨の降りしきる、真冬のド平日の夕方。

…なぜ、式の日取りをこんな日にしちゃったのか?とつっこみたくなるような天気だったけれど、仕方ない。彼らが出会ったのは3年前のこの日であったわけだから…。それで、この二人にとって人生の記念となる式の証人に、なんとnijntjeが選ばれてしまった。最初、お願いされたときは、「なんで家族じゃなくて友達のわたしに??」と思ったけれど、オランダでは4人まで結婚の証人を選ぶことができ、家族以外でも、親しい友人などであれば問題がないそう。Sashaのご両親は、ロシアから今回出席することができなかったようだ。それならせっかくだし、二人の記念すべき証人になれるならぜひ!と思って快く承諾した。

式当日。式会場に向かう前に、家にちょっと寄って、というので、まずはAmsterdam Noord(アムス北)へ。向かう途中に思いついたのが、

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花束 (自分ではめずらしく機転が利いたみたい )

そしてお宅をお邪魔すると、Sashaが準備をしながら出てきてくれた。な、なんと!! まさか…

nijntje、新婦とドレスが似すぎ…!! (なんでまた同じような服…?)

彼女と気が合うのは嬉しいけれど(笑)、自分で「なんでかぶってんねん!」とつっこんでしまった。お互い、オフホワイトの、ひだが細かくついたひらひらスカート。式場でもみんなに指摘されたが、笑ってくれたからよしとしよう。(持ってきていたショールを羽織って気持ち隠していたのだが)

Sasha邸には、Alexのご両親も来ていた。式場まで車で5分、というので、直前までみんなでお茶を飲んだり、トンポース(オランダのケーキ)を食べたりしてまったりしていたら、時間があっというまに5分前。急いで車に乗り込んでいざ会場へ向かい、車を走らせて3分近く経ったところで、Alexが突然叫んだ。

ブーケがない!!忘れてきた!! (なんで忘れるかね…)

Sashaは、「もういいわ。仕方ないわ」(←いや、あなたのでしょ?笑)という傍ら、Alexは「俺たちがいなくちゃ、式なんて始まる分けないだろ!!戻るぞ。」そう言って、怒りながら引き返した。あれだけお茶飲んでた時間があったのに、何しとんだこの夫婦は…笑 まぁ、式当日はこういうハプニングがあって然りなんだけどね。

そして遅れて会場に着くと、Alex側の家族や親戚の方々がみな集結していた(当然…)。全員で15人の、こじんまりとした式だったけれど、それだけに温かみと笑いのある、素敵な式だった。

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Gefeliciteerd!!

日本では、婚姻届を市役所に届けに行く。オランダでは、基本は日本と同じで、違うのは「その市役所で」式もしてしまうことが多いということ(わたしのときは、市役所ではなく、別の場所を選んだが)。そして、その式の進行をしてくれるのが市役所の職員。事前に打ち合わせもして、その職員さんに二人のことを知ってもらう。自分たちの結婚式のことも思い出して、すごく懐かしくなった。

指輪交換になると、Alexはいきなり席を立ち上がったと思ったら、

2つの指輪をポケットから小銭と一緒につかみ取り、指輪2つを取って職員さんに渡した。(おいおい…

リングクッションなどの準備する時間もなかったわけ?小銭と一緒って。それでもあなた銀行員?これには家族もみな苦笑していたけど…。オランダ人の結婚式はこんなものです。

そして、式は順調に進み、肝心の証人による署名も、ご両親たちに助けられ、喜んでさせてもらった。このあと、シャンパンで乾杯し歓談。Alexに「緊張した?」と聞くと、「まだ緊張している。」という。式も終わったのにどうしてだろう、と思っていたけれど、その理由がここで分かった。Alexは、家族間が複雑な関係で、ご両親が離婚、お父さんは再婚、そして4人の兄弟姉妹のうちひとりは、なんと13年ぶりに再会した、という。だから、この場でいざこざが起きないかが心配でたまらなかったらしい。でも結果は、終始みな笑顔で、笑いが耐えない素敵な時間だった。もちろん、その裏にはお互いに言いたくても言えない何かが募っていたかもしれないが。実のお母さんは気さくで優しい方だったけれど、最後にSashaとわたしの前で泣いてしまった。なにか湧き出る感情でもあったのだろうか。式が終わってから、いったんSasha邸に戻ってきた。そのときのAlexのお父さん。わたしに、「じつは、13年ぶりに娘に会ったんだよ」と話しかけてきた。何も変わっていない、と感じたのか、あまりに変わって分からなかったと感じたのか。とにかくすごくショックを受けていたようで、ソファで座ってひとりじっと考え事をしていたいようだった。式中にAlexのお父さんが読み上げた、「家族」への手紙。どれほど複雑な気持ちで読んでいたのだろう。そのあとは、わたしもかける言葉に詰まって、その場を離れてしまったけれど…。

夜はsatotjeも合流して、残った仲のよい家族たちだけで食事会。アラビア料理が好きな二人のチョイスだった。

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そんな家族会にわたしたちなんぞが参加してもいいのか、と思ったけれど、楽しかったからいいや。これからも末永くお幸せに♪ そして、お互い元気な赤ちゃんが産めるといいね!!

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プロフィール

 nijntje 

Author: nijntje 
FB上では幸せいっぱいの家族やプライベートのことを書いています。
このブログでは、ちょっとした愚痴ばかり書いています。笑

生まれ住んだ神戸をはなれ、仕事のため来蘭し、かれこれ12年目。2011年夏、アムステルダムから郊外のAlmere(アルメーレ)に引越し。まもなく長女、Miretje(ミレチェ)が誕生、その2年後にSoratje(ソラチェ)も加わり、4人でにぎやかな毎日を送っている。



gechereven ook in het Nederlands(written in Dutch as well as Japanese)



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