スポンサーサイト

--.--.-- --:--|スポンサー広告
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

会えなかったおばあちゃんへ

2014.03.28 06:23|Gesprek/ひとりごと
やっと、落ち着いて、その現実を受け止めようとしているけれど、やっぱりまだよく分からない。

先週はじめに、父方の祖母が他界しました。

92歳で大往生、とくに病気でもなかったのだが、最後は病院の入退院を繰り返して、老衰で亡くなったようだった。

先日、父から「おばあちゃんの様態があまりよくなくて、病院に入院してて…」ということを聞かされていたけれど、いままでにも何度か危ないことがあったので、まぁ気が強い不死身みたいなおばあちゃんだから(苦笑)、来年帰るまで待ってくれるだろう、と思っていた矢先だった。

結局、最後におばあちゃんの声も聞けなかった。
手を握ってあげることもできなかった。
話かけてあげられなかった。
ソラチェに一度も会わせてあげられなかった…。

オランダという場所を選んだ自分だけれど、すぐに飛んででも会いにいけなかったことが、どれほどもどかしかったか…。いまは、子供たちもまだまだ小さくて、一人でひょいっと帰られる状態でないのもわかっているから、なおさらつらい。結局、日本の家族とも話し合って、こちらから全員で帰ることにしていた来年の3月、1回忌に合わせて飛行機を取ることにした。

日本の家族皆が、それぞれに祖母とのいろいろな思い出があると思うけれど、わたしのことはここに書き留めておこうと思う。

祖母は、ひとに尽くすことが大好きな、よくしゃべ明るいひとだった。祖母とは、わたしが10年前に来蘭して以来は、めっきり疎遠になってしまったけれど、それでも頻繁に書いて送ってくれた手紙は、いまも手元にしまってある。わたしも、写真のアルバムを作ったり、父にはブログをプリントアウトして渡してもらったりしていた。

「nijntjeは、わたしの一番かわいい孫!」

そういって、よく友達にも紹介してくれたっけ。

お正月は家族、親戚みな集まって、湊川神社へ→喫茶店→デパートなどで買い物→夜はすき焼きパーティ→大人は徹夜でマージャン、子供たちは枕投げかトランプ→お昼にまたおせち、で解散、というのが通例だった。中学生くらいまで続いたっけな。

裁縫の仕事を生涯続けてきた祖母には、わたしが日本でセールス(営業)をしていたときに何着ものスーツを作ってくれた。どれも自慢のスーツだったし、お客さまにも好評だった。

学生の頃に、肌荒れがひどい時期があって、それを見かねた祖母が、知り合いのエステシャンを紹介してくれ、何度も顔エステに付き合ってくれた(そのあいだ、祖母は近所で買い物。笑)

近所の市場でやっていた宝くじで、3000円をあて、「nijntje使い。」といって、快く幸運を分けてくれた。そもそも、会うたびにお小遣いをくれたっけ…。

社会人になってからは、祖父も他界してしまった。告別式では、声が出なくなるくらい弱ってしまった祖母のそばに、ずっといてあげた。

ひとりになってからは、しょっちゅう近所の古めかしい喫茶店(インベーダーゲームなどが置いてある喫茶店!今もあるのかな…)に連れて行かれ、話し相手をさせられていた。でもそこで食べるサンドウィッチはいつも美味しかった。

祖母の家に遊びに行き、別れ際はいつも見えなくなるまで手を振ってくれた。

オランダに出発する前に、最後に会った日は、三宮まで出て一緒に買い物して、バス乗り場での別れ際でもずっと見えなくなるまで手を振ってくれた。

日本での親族だけの結婚披露会。satotjeを祖母に紹介したら、「おじいちゃんに似てる。」といって手を取って泣いていたよね。笑 そう、祖母は、祖父と同じような雰囲気をもった、背の高いsatotjeのことをすごく気に入っているようだった。

それからは、母方の祖母と一緒に暮らしてみたり、その後、施設に入り、また、わたしも会えるのが里帰りしたときのほんの数時間だったりして、まだまだいつまでも会っていたかったけれど、別れ際はやっぱり寂しさがこみあげてきたのだった。最後に施設で会ったときは、「もうこんといて、寂しいだけやから…。お父さんにも迷惑ばっかりかけてるし。もうはよ死にたいねん。」と泣きながら言ってね。。

そのときの写真。元気そうだけど!

2013 Japan (208)

じつは最近、たまたま「永遠のゼロ」を読んでいて、戦時中の日本のことを考えていたし、その当時は祖母たちはどんな生活をしていたんだろう、と気になっていた。読み切ったときは、祖母が元気なうちに、もっと戦時中のことも話しを聞いておけばよかった、と思った。

人生は本当に短い。ひとは少なからず、毎日死ぬ日に近づきながら生きている。ミレチェとソラチェを授かったから、おばあちゃんがこの世からいなくなってしまったのだろうか。こうしてまた、親も、自分も20年、30年経て世代を交代していくのだろうか。

おばあちゃん、どうか天国で安らかに眠ってね…おじいちゃんにもきっと会えたであろうことを願って…

27032014 (8)

亡くなった日には、家のヒヤシンスは綺麗に開花していたよ。来年は、花を添えにいくから待っててね。

Het Nederlands is gecontroleerd.

Mijn Oma is vorige week overleden. Het blijkt dat ze van het leven wel heeft genoten, maar ik schaam me dat ik haar niet meer kan zien. Ik wou dat ik met haar kon praten...dit jaar gaan we helaas niet naar Japan, maar volgend jaar, rond precies 1 jaar van de sfscheid met oma. Ik heb wel veel herrinering met haar, en ik geloof dat iedere familie iedere herrinering met haar heeft. Ik hoop dat ze in het heaven in vrede aan het slapen. En beter nog, ze opa kan zien.

コメント

非公開コメント

10 | 2017/11 | 12
- - - 1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 - -
プロフィール

 nijntje 

Author: nijntje 
FB上では幸せいっぱいの家族やプライベートのことを書いています。
このブログでは、ちょっとした愚痴ばかり書いています。笑

生まれ住んだ神戸をはなれ、仕事のため来蘭し、かれこれ12年目。2011年夏、アムステルダムから郊外のAlmere(アルメーレ)に引越し。まもなく長女、Miretje(ミレチェ)が誕生、その2年後にSoratje(ソラチェ)も加わり、4人でにぎやかな毎日を送っている。



gechereven ook in het Nederlands(written in Dutch as well as Japanese)



最近の記事

最近のコメント

月別アーカイブ

カテゴリー

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

フリーエリア

ブログ内検索

RSSフィード

リンク

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。